【奈良】エル・ムンド

もし喫茶店が意思を持つ生き物だったら、
かつて店によく来ていた大学生の若者がおじさんやおばさん(あるいはおじいさんやおばあさん)になって
久しぶりに訪れてくるというのは、喫茶店にとってどんな気分だろう。

茶店が男性だったら
「今のくたびれた俺の中にかつての俺の姿を探さないでくれ!」と言うだろうか。


茶店がご婦人だったら
「あの日のあたしとは違うのもう帰って」と顔を背けて小さく叫ぶだろうか。


茶店氏との再会はお互いへと降り積った年月を確認するものになるかもしれない。



月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり――――。
うたかたの無常を悟り次の再会は果たされることがないのかもしれない。


それでも、どんな形であってもその再会は優しく温かいものだと思うのだ。



そんな再会もノスタルジアも、長く続いていてくれる喫茶店があってこそのものだ。

エルムンドさんもそんな喫茶店の一つ。

観光客でにぎやかな大通りから一本這入った小道で奈良の今昔を見守り続ける名店だ。

「あの通りのさ、古本屋の2階の喫茶店、いいんだぜ」

あの頃そう級友に教わった若者が今は子どもを連れてくることもあるという。




お互いトシとったな、と目を細めて微笑み合える相手はいますか。


お互いトシとったな、と目を細めて微笑みたい喫茶店はありますか。







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