【津新町】中村洋品部


津には東海道、伊勢街道、伊勢別街道など、昔からたくさんの街道が通る街でした。
これらの街道は江戸時代に本格的な整備が行われて今日にいたります。

交通の要衝をかかえる津は藤堂藩の城下町として発展してきました。

現在津城の跡は公園として整備されていますが、石垣やお堀に在りし日の姿を垣間見ることができます。

城下町・津の大本の形をつくったのは
関ヶ原での軍功により津城藩主となった藤堂 高虎(とうどうたかとら)でした。
彼は着任早々にさびれた港町だった津の大改革に着手しました。



「津」には海、港という意味があり、当時の津は今よりも海が近くにありました。
いえ、厳密にいえば市街地まで食い込んでいた海をいくらか埋め立てて現在の津の原型を作ったのです。

にぎわいのある城下町づくりのため、元々町はずれの海沿いにあった伊勢神宮への参宮街道
大きく改修し城下すぐそばへとルートの変更をしました。


ここらへんが藤堂高虎が後年「城づくり、町づくりの名手」といわれるゆえんです。


先述の通り「津」は港という意味ですが、
ではなぜ「港市」ではなく「津市」と呼ばれるようになったのでしょうか。

これには笑い話が伝わっており
元々現在の津市を含む広域は安濃(あの、あのう)と呼ばれていました。

津城を中心とした津の中心街は特に「安濃津(あのつ)」と呼ばれており、
人々が安濃津安濃津と呼ぶに従って「あの津」→「あの、津」という呼称になったいったようです。








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