【弘前】ひまわり

名曲喫茶」という言葉を聞かなくなってどれくらい経つだろうか。

かつて喫茶店といえばアゴラたる溜まり場であり、
議論のコロシアムであり、人生相談の場であり、
じ、と押し黙って珈琲をすすりながら音楽を聴く場所だった。


カップを受け皿に置く音をたてないように気をつけるが、
意識するほど手が震えてカシャンと鳴らしてしまうものだった。



レコードはかつて高価すぎて学生や一般職業人には手が出しづらかった。
プレイヤにアンプ、そしてスピーカ一式がそろっている場所といえば
金持ちの同級生の家か、新聞社の娯楽室、
または喫茶店だった。


音楽を(というかレコードの鳴らす音というものを)聴きたい! しかし金がない。
名曲喫茶にはコーヒー一杯分の小銭を握りしめた若者が集まった。

トレモロ、アンダンテ、シグナフラットにトロイメライ
たくさんの人のコーヒーをすする音の中でたくさんの音楽が流れていったのだろう。


吹き抜けの2階からクラスメイト(悪友)が身を乗り出している姿が今でも鮮明に蘇る。

しかしいまや音楽は「みんなで聴くもの」というよりは「個人で持ち歩くもの」だ。

レコードはやがてカセットテープになり、CDになり、MDになり、そして目に見えないデータになった。
人が集まってレコードを聴く音楽全体主義はもう時代遅れになってしまったようだ。



ある喫茶店のマスターがかつて言っていた。
「缶コーヒーとウォークマンが日本人をダメにしてしまった」

缶コーヒーはそもそもコーヒーと別の新しい飲み物だと思えばいいとして、
ウォークマンが世間にもたらした変化は大きい。

そのマスターは音楽を大変に愛しており自宅にレコードの設備を備えている方だった。
レコードでしか聴けない音やその広がりが大好きだという。

ウォークマンはとても便利な発明だった。
アイポッドはそこから更に容量が多くなり小型化もした

その一方でレコードを惜しむ声や名曲喫茶を愛しむ眼差しがあるのも事実だ。

かつて都市に数軒あった名曲喫茶だが今では大都市に一軒あるか、ないかくらいの数になってしまった。
素晴らしい喫茶店が消えたのは悲しいことだが、
過去を慈しみ振り返るのと同じくらいの強い思いを持って、今も残る名曲喫茶に行こうと思う。


コーヒーカップを受け皿にそっと置く動作も、あの頃よりうまくなっているはずだ。







.