【岐阜】ニューパロマ

ギリシャ語で「アゴラ」という言葉がある。
「広場」という意味で使われることが多いが「市場(マーケット)」という意味や「会議場」という意味、
そして「交流の場」という意味も持っている言葉だ。


かつてのギリシャの人々にとってアゴラは意見を交換する場であり、
自治のための合議の場であり、生活のために必要な物品を交換する市場でもあったというわけだ。


岐阜の商店街を歩くとこうした「広場」という言葉が浮かんでくる。
東京や大阪にはない広々とした道や、
低めのビルから垣間見ることができる空が開放感とともに広場を感じさせてくれるのだろうか。


岐阜にはデパート(高島屋)もあるので近隣の市町から買い物に出かけて来る人も多い。
ゲームセンターなどの子ども向けの娯楽施設もやはり県庁所在地らしく集中しているため
岐阜は若者もお年寄りもバランスよく共存している。


ただ、道行く見知らぬ他人と言葉を交わすことが忌避されているこの時代、
古代ギリシャ的なアゴラは成立しづらいのかもしれない。
意見を交換するよりも前に語り合うべき場所が、
じっくりと話す時間が現代の日本には欠けているようだ。

人々は限られた時間の中でそれぞれの意見を抱えて
きわめて狭い仲間内だけで心情を吐露し合い日を暮らす。

意見を直接ぶつけ合う環境に恵まれていないかもしれない。


インターネットに意見を投げかけて交流するというのは新しいアゴラの形だが、
やはりその場に相手がいることがアゴラの重要な要素であるように思える。


その証にビジネスの場面において重要な決定は、
やはり直接に顔を合わせて取り決めることが今もって主流である。
それがたとえ先進的なIT業界であってもだ。



それでも確実に市民議会としてのアゴラは役割を失ってきているようだ。

そう考えると喫茶店というのは場合によってはアゴラの役割を担える場所なのかもしれない。
ここニューパロマさんも多くの人々が集い、言葉や考えを交わす場所だ。
商店街に面しているということもありとても入りやすい店構えだが、
半地下になっており表通りの喧噪は邪魔にならない。



壁一面にしつらえられた棚には常連のお客さんのカップが格納されている。
ここ岐阜県も例に漏れず高齢化が進んでいるが、
こうした喫茶店でお茶でも飲みながら異なる世代の方々と交流があってほしいと思う。
大げさに構えた世代間交流を図るよりも
お茶を飲みながら気楽に話す場を持つことでしか得られないものもきっとあるはずだ。






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