【長浜】マスカット

滋賀県には現存する城が多くあり
長浜にある長浜城もそのうちのひとつです。


JR長浜駅から西口に出てすぐのところに公園があります。
この公園の西端、ちょうど琵琶湖のきわの辺りに長浜城はそびえています。

眼下に湖岸を望む好立地ですので見晴らしがよく
晴れた日には対岸が見渡せます。

(逆に言うと空が曇っていると対岸が見えないくらい、琵琶湖は大きいです)



長浜駅の西口は長浜城や美術館などがある静かなエリアですが
東口は多くの商店などが立ち並ぶ地域になっています。


こちらのマスカットさんがあるのはそんな賑やかな東口。
昭和31年創業、長浜で最も古い喫茶店です。



〜長浜あれこれ〜

長浜は当初「今浜」と呼ばれていました。
琵琶湖沿いにあるため北陸と東海方面への街道の分岐点として
古くから交通の要衝とされてきました。



町が出来た当時、もっとも新しい琵琶湖沿岸の町 という意味で
「今浜」という名が付けられました。

 ※「今」という言葉には「現在」という意味のほかに
 「今様(いまよう)の、当世風の」という意味があります。

当時最新の町だったため「今浜」という言葉が使われたというわけです。


時代は下って戦国時代。
東海地方を支配していた織田信長からこの地を譲り受けた武士がいました。
豊臣秀吉です。


彼は町を一新する際に織田信長の名前から
「長」を頂戴して「長浜」へと町名を変更しました。

長浜には豊国神社という神社があり
ここに豊臣秀吉が祀られています。



長浜の町民が長浜城主だった秀吉を偲んで建立した神社でしたが
江戸時代になると徳川幕府により秀吉信仰が禁じられてしまいました。


困った町民たちは秀吉の祭神は奥に引っ込めて
隠れみのとして恵比須神(エビス様)を祀りました。
(※商売繁盛の神であるエビス様を登用するあたりはさすが町人的発想です)



江戸時代の間はエビス様を信仰しながらも
奥にある秀吉をこっそりお祀りしてきたのです。



明治のご一新があり徳川時代の禁制が解けると
秀吉を信仰することが公に許されるようになりました。
そして現在の豊国神社ができました。


それから後は秀吉とともに、長らく町民が信仰してきたエビス様を
一緒にお祀りする神社として街の方々に親しまれています。



毎年1月にはエビス様に感謝する「十日戎(とおかえびす)」という神事が、
そして10月には豊臣秀吉を讃える「豊公まつり」が行われることからも
秀吉とエビス様が仲良く共存していることがうかがえます。




十日戎について補足】
十日戎とは・・・1月10日と前後2日に祭が行われるため十日戎という。
1月9日は宵戎(よいえびす)という祭で、エビス様を呼びこむ祭。
1月10日が本戎(ほんえびす)でメインの日。
1月11日は残り戎(のこりえびす)でエビス様をお送りする日。


いずれの日も「福娘」と呼ばれる巫女さんが集まった人々に餅を投げます。


「餅」=「持ち」で『長続きしますように』という意味が込められています。
うまくこれを掴むことができた人は繁栄が約束されるそうです
(ただし一年間限定)。





.