【三田】ボンソアール



今も昔も三田は学生街。
朝夕には多くの学生でにぎわう町です。

つまりボンソアールさんは「学生街の喫茶店」だったわけです。


ところでJRの駅と都営線の駅が
「田町」、「三田」ときわめて近くにあるにもかかわらず
別の名前になっているのはなぜでしょうか。


これにはここらへんの地域の元々の呼び名が関係しています。

少しずつ解きほぐしていきましょう。


田町駅三田駅の間をはしる第一京浜に沿って
南にすこしあるくと御田八幡神社があります。
この神社の名前にこそ三田の由来を解き明かすヒントがあります。



「御田(みた)」とは非生物である田に対して敬字である「御」をつけたものです。
つまり昔このあたりにあった田は「高貴なもの」だったということです。

更に細かく言うと「高貴な方の所有する田」であったということです。


はるか昔このあたりには、
朝廷にささげるための米をつくっていた田がありました。
一般の民は口にすることがかなわない米を生み出す大地を
人々は畏敬の念をこめて「屯田(みた)」と呼びました。
(エゾチの屯田兵屯田(とんでん)とはまた別の語です。注意。)

汐留川と目黒川にはさまれた谷地であったこのあたりは
河川にはこばれてきた肥沃な土と、豊かな水流に恵まれた
水田・耕作に適した地でした。

今では想像することも難しいですが
あたり一面は見渡す限りの田畑で、
当時の日本人は農耕民族の本領を遺憾なく発揮して暮らしていました。


時代は下って江戸時代。
文化文政ころになると爆発的に増加した江戸の町民の住む場所を確保するために
新たに町人町が造成する必要が出てきました。
そして江戸では多くの川が埋め立てられ
御田(三田)周辺の田畑もいくらかは整地されて町が形成されました。

もともと田んぼであったところに築かれたので
その町には「田町」という名前がつけられました。



それから300年の歳月が流れ町人町はビジネス街へと変貌していきました。









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