【仙台】きんぐすとん
仙台の駅前の変遷を見守り続けているお店です。
青葉通りをはじめとして仙台駅周辺は車両道路、
歩行者用道路ともに道幅が広く
とても歩きやすい街並みになっています。
とくに歩行者用道路は商店街が約3㎞続いています。
駅から近い順にマーブルロード、クリスロード、ハピナ・・
という名前がついており仙台七夕まつりの中心地として栄えています。
仙台駅は東北随一のターミナル駅としての役割が強く
買い物や観光、遊戯は駅から離れたエリアに役割を譲ります。
買い物は前述の商店街、観光は多賀城、仙台城
そして遊戯では国分町が有名です。
仙台を語るときよく使われる枕詞として
「杜の都(もりのみやこ)」という言葉があります。
はて、「モリノミヤコ」とは何でしょう?
一つずつ解きほぐしていくと、
「杜」とは「人口の森」という意味です。
つまり植林により出来た森。
事の始まりは今からさかのぼること400年。
伊達正宗が生きていたころのことです。
山形育ちの伊達は東北の厳しい気候の中で育ちました。
色々あって仙台城主となった伊達は防風と防雪それから防火のために
仙台の街にクロマツを植林することにしました。
時は経ち、仙台はすっかり緑豊かな街となりました。
その姿たるや森から都が生えているかのような景観です。
(実際は都を中心に森が造られたのですが)
そんな伊達の偉業をたたえて仙台城は
「青葉城」という別名で呼ばれることもあります。
こうしてみどりなす仙台の街は栄えていきましたが
盛者必衰のことわりか、繁栄も長くは続きませんでした。
第二次世界大戦の時には空襲により街の広域が焼けてしまったのです。
そんな景色を指した言葉として、今では想像しがたいですが
1950年頃には「仙台砂漠」という言葉がありました。
その後住民の方の不断の努力により改めてケヤキの植林が行われ
立派な木木が育ちました。
現在生い茂っている青葉通りのケヤキ並木は、
戦後に植樹された苗木が成長したものなのです。
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